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zoom RSS 四国旅行 顛末記 A

<<   作成日時 : 2009/10/16 17:41   >>

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高知編の続編・・・・

まずは昨日行かなかった高知城から・・・

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山内一豊が、関ヶ原の論功行賞で拝領した30万石の城。これで、千代さんの夢叶い城持ちの大大名に
1727年城下よりの大火で追手門以外ほとんど焼失したため国宝にはなれず、重要文化財指定。それでも、1749年に再建されたものなので古いですよ。

ここで豆知識を・・・
高知の地名のはじまりは、高知城のある大高坂山が川に囲まれた地形から当初河内山と名付けられ、その後
智を積むようにと高智山と改められ、その後智が知に変わって高知の地名になったそうな・・・

山内家はその後明治まで続くのだから人生わかないもんです。千代さんよかったねー。


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四国といえば、四国霊場八十八カ所。その31番札所がこの竹林寺。山の上にある、古びたお寺ですが、
これが意外と立派。大晦日の行く年来る年では定番のお寺だそうです。早速逢いました霊場巡りの一行に。

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いよいよやってきました坂本龍馬と桂浜。
坂本龍馬は高知城下の郷士の次男として1835年に生まれたそうで、生まれた時は裕福だったそうです。
その後の活躍は皆さんも知るところですが、表舞台に出なかったので、司馬遼太郎の龍馬が行くの小説が
世に出るまでは、高知でもあまり有名ではなかったそうです。

北辰一刀流長刀兵法の免許皆伝。でも、実際の腕前は誰も見たことないそうです。
土佐勤王党に入り、勝海舟の下で海軍宿の塾頭になり、長崎で亀山社中を設立。
薩長同盟の橋渡しをして時代の流れを大きく変えました。
その後海援隊を設立。 大政奉還を推進し、1867年の誕生日(11月15日)に京都近江屋で、中岡慎太郎とともに
刺客に襲われ闘死します。資料館にはその時の血痕がついた屏風が展示されていました。

龍馬といえば忘れてはいけないのがお龍さん。奥さんです。昨年の大河ドラマの篤姫でもでましたが、
小松帯刀を訪ねて薩摩に湯治に出かけた時が日本で最初の新婚旅行と言われています。

歴史に燦然と輝く功績はないのですが、時代を駆け抜けた陰の立て役者というべきでしょうかネ。

私の好きな龍馬の多くの名言の中のひとつ。

 『世の人は、われを何とも、いはばいえ。わがなすことは、われのみぞしる。』


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あとは、龍馬がみたであろう桂浜・・・
きれいな海でした。暑くて、アイスクリームが美味しかった。

 りょうま? いいなまえだね。あしたは帰ってくる?

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